こんにちは、トワカと申します。
人間に関する文脈で「深い・浅い」というような言葉は、日常生活でもよく用いられますね。
しかし、そもそも「人間的に深い」とはどういうことなのか、具体的に説明できる人は少ないでしょう。
この記事では、「深い」という言葉の意味や、なぜ正しいとされるのかなどを考察します。
目的は、「日常の違和感の解明によって社会構造と人間の感情のずれを認識し、生きやすさの向上につなげる」ことです。
なお、この記事では「深い・薄い」という概念を主に取り上げて説明していきますが、「厚い・薄い」も似たニュアンスを持つため、置き換えが可能かもしれません。
それでは、いきましょう。
言葉の定義
「深い・浅い」「深い・薄い」といった言葉の意味や定義については、以下の記事で解説しています。
筆者独自の視点で考察もしていますので、良かったらご覧ください。
深さはなぜ良いとされる?
正負のニュアンスの付与
「深い」「浅い」という単語自体には、正負のニュアンスは存在しません。
「穴が深い(浅い)」とだけ言われて、「浅い穴はだめだな~」と漠然と思う人はいないでしょう。
しかし、例えばかくれんぼの途中に隠れるという外的な目的・条件が存在するとき、「深い穴のほうが利便性が優れている」という認識が可能になります。
これと同じことが、人間や思考に対しても起きています。
人間的に「深い」という言葉が使われる際、文脈としてはプラスの意味合いを持つ場合がほとんどです。
逆に「浅い」では、ほぼすべてがマイナスの文脈です。
対義語における意味の増幅
深浅や厚薄が語られる文脈では、必ず使われた語彙と逆の意味が意識されます。
例えば、「この文章は深い」と言えば、浅い文章の存在が潜在的に意識されます。
ここで問題なのは、「浅い」という言葉が使われる文章の意味が、マイナスの意味に大きく寄りがちな点です。
「この本は浅い」「あの人は人間として浅い」という文章には、非常に強い批判的感情が込められています。
特に、後者には人格否定のニュアンスが含まれ、言われた側は尊厳や自信が揺らぐほどの威力を持ちます。
逆の意味が意識されるということは、相対的に「深い」という単語が持つ正の意味合いが、大きく増幅します。
これが、「深い」思考や人間が良しとされる、さらには正しいかのような風潮を作る要因の一つだと私は考えています。
深い人間は正しいのか?
絶対的正しさは存在しない
この問いには、私なりの答えが明確にあって、答えはNOです。
そもそも、私は絶対的な正しさを問うこと自体がナンセンスだと考える立場を取っています。
何かを「絶対的に正しい」と定義することは、そこから外れた瞬間に負の属性が付与されることを意味します。
これは非常に危険で、精神衛生上よくないことです。
「深みのある人間」という言葉にふさわしい人物像を理想とする必要はありません。
なぜなら、本来持つ言葉の意味以上に歪められたニュアンスを持つためです。
特に、現代ではSNSやテレビ上で、内容の正確さよりも商業的観点の強い、インパクト重視の強い言葉が流行しています。
ニュアンスの変動性
例えば、「忖度」という言葉の辞書的定義は「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること。」(引用:goo辞書)です。
純粋な印象として、プラスの意味合いが読み取れます。
しかし、政治的文脈で「忖度」という言葉が多用された結果、「ビジネスなどの重大な場面において、健全でない形で利己的配慮を行う」というようなニュアンスが付与されたように、少なくとも私は感じています。
このように、言葉や単語というのは絶対的に意味が固定されているものではなく、社会的背景などから流動しうるものなのです。
そのため、その言葉が持つ意味やニュアンスの変動性には敏感になり、どこまで信頼していいのか吟味する必要があります。
「深い・浅い」といった強い言葉に振り回されず、平穏な心持ちで生きるための私の考え方は、以下の通りです。
<生きやすさのヒント>
・自分の感情や、自分にとって必要と感じる概念をすくい上げ、自分なりに組み立てた行動原理に従って生きたほうが、自分らしく生きていける。
・言葉が持つニュアンスは絶対的なものではなく、変動しうるものである。
まとめ
私の書く哲学的考察は基本的に、「社会や世界の構造を様々な観点から捉えなおし、生きやすくするヒントを提案すること」が目的です。
分かりやすい強い言葉による即時的な処方箋ではなく、根本的・本質的な改善策の提示を目指しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事が少しでも皆様のお役に立てば幸いです。


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