こんにちは、トワカと申します。
人間に関する文脈で「深い」「浅い」というような言葉は、日常生活でもよく用いられますね。
しかし、そもそも「人間的に深い」とはどういうことなのか、具体的に説明できる人は少ないでしょう。
この記事では、「深い」という言葉の意味について、辞書の定義をもとに考察します。
辞書の定義
深い・浅い
「深い」という言葉は、物理的な文脈で用いられることが最も多いでしょう。
私もそうでしたが、本来は物理的意味のみで、比喩的に抽象的概念に対して用いているという印象があるかもしれません。
しかし、辞書の中では、物理的意味だけでなく「物事の程度や分量、また、かかわりなどが多い。」(引用:コトバンク)という風に、抽象的事象に対しても意味が定義されています。
そのため、「人間的に深い」という文章は辞書的に正しい表現なのです。
対義語である「浅い」も同様で、人間に対しても使えます。
類義語(厚い・薄い)
ほぼ同じニュアンスで用いられる「厚い・薄い」については、抽象に対する意味定義はありません。
そのため、人間や思考に対して用いられる場合は、物理的意味からの派生です。
「厚い本は内容がしっかりしている」というようなイメージから、人間に対しても使われるようになったのでしょう。
「深い思考」の意味
ここでは、私自身が「深い思考」や「深みのある人間」に対して持つイメージをご紹介します。
少し難解な文章ですが、まとめると以下の通りです。
それぞれ深く掘り下げるので、ここでは軽く読み流してください。
【深い思考】
1.前提や条件の明確度や、文章構造の論理性が高い思考。
2.高頻度で客体との比較検討が行われることで、ある程度の客観性が担保された、暴走的・盲目的でない思考。
3.物事の背景を様々な観点から汲み取ろうとする、短絡的でない思考。
1.論理性
まず、大前提として論理性の高さが挙げられます。
文法的に間違っていないか、論理が飛躍していないか、条件が明示されているかなど。
文法については、文字通りなのでここでは省略します。
意図的に何かしらの効果を狙って間違える場合を除き、基本的には正しいことが必須です。
論理の飛躍とは、
「昨日食べたりんごはとても美味しかった。
だから、今日以降のりんごも美味しいだろう」
という風に、因果関係が示されていない、納得感の薄い文章のことを指します。
この文章には、今日以降のりんごも美味しいと言える十分な根拠が示されていません。
そこで、ここに青森県(りんごの名産地)に旅行に来ているという条件を追加します。
「私は現在、旅行で青森県に来ている。
昨日りんごを食べたが、とても美味しかった。
きっと、明日から食べるりんごも美味しく食べられるだろう」
この場合、「りんごの名産地である青森のりんごは美味しい」という認識が一般的に共有されているため、因果関係のはっきりした論理性が高い文章となります。
2.客観性
深い思考には、「私はこう思う」という主観的な感想だけでなく、参考文献や数値などを用いた客観視が必要だと私は考えます。
例えば、以下は主観的・平易な感想のみの文章です。
「○○という映画がとても面白かった。
誰が見ても絶対面白いし、見てない人は損してるよ。
あのキャラクターは天使だ。可愛すぎた」
次項の「3.背景を汲み取る力」も不足している印象ですが、子供っぽい印象を与えるのではないでしょうか。
ただし、仮にこれが日常会話だとしたら、文章と比べてそこまで違和感はないですが。
次に、数値や根拠、自分以外の意見も取り入れた文章です。
「○○という映画が、予想できない展開でとても面白かった。
売上は30億円を超えたらしいし、年代や性別を超えて愛されているのだろうね。
あのキャラクターは可愛いし、私の周りでも人気なんだよね。」
単純に文字数も増えましたが、「予想できない展開」「30億円という売上」「周りでも人気」といった考えの根拠が明確になったことで、厚みのある文章になりました。
また、「見てない人は損している」といった、あたかも自分の感覚が絶対的で、それを他人に強制するような言葉も推奨されません。
ここで、改めて2番目の定義を振り返ります。
高頻度で客体との比較検討が行われることで、ある程度の客観性が担保された、暴走的・盲目的でない思考。
客体は主体の対義語であり、簡単に言えば「自身以外の他のもの」を指します。
つまり、「自分の思考は一般的なものと大きく外れていないか?」「他人から見て納得性が高いか?」のような疑問を、頻繁に自身に対して投げかけることを指します。
そうした懐疑的な目を自分自身の思考に対しても向けることで、慢心や過剰な自己保身の暴走的・盲目的な思考を避けることが出来ます。
3.背景を汲み取る力
先ほど論理性の高さを挙げましたが、ただ論理的に正しいだけの思考・言葉では、「深い」という評価にはなりません。
深い思考においては、短絡的に「こうすべきだ」と判断するのではなく、物事の原因や背景を想像し、最大限汲み取ろうとする姿勢が必要です。
なぜなら、「思考が深い」とは基本的に他人から与えられる評価であるためです。
人々が持つ感情面や事情を無視すると、「頭が固い」という印象になる可能性もあります。
例えば、以下は論理性は高いものの、感情面や個人の事情を無視した短絡的な文章です。
「勉強することは進路の可能性を広げるし、出来ることによるデメリットが少ない。
だから、どんなに大変だろうと、甘えずに頑張るべきである。
成績が低いなら、部活やゲームをやる暇などない」
とても押しつけがましくて、冷酷な文章ですよね。
しかし、論理面から明確に間違いだと言える部分はなく、「確かにそうだけど・・・」という感想になります。
この文章を読んで、「深い思考を持つ人」という評価にはなりづらいでしょう。
そこで、感情面や個人の事情を考慮した文章にしてみます。
「勉強することは進路の可能性を広げるし、出来ることによるデメリットは少ない。
しかし、勉強に対して苦手意識を持つ人が多いことも事実だ。
これだけ多くの人が勉強嫌いになるのは、教育の構造自体に問題があるのではないだろうか」
この例では、「社会構造自体に問題があるため、個人が責任を感じる必要はない」というニュアンスの文章に変化しました。
「勉強に対して苦手意識を持つ人が多い」ということを、個人の甘えだと一蹴しない点がポイントです。
そうした事実があるならば、個人が怠けているという認識に固定せず、「何かそうなるだけの理由があるかもしれない」と視野を広げるべきなのです。
こうした思考により、個人への過剰な攻撃や、自分主体の論理の押しつけが抑制されます。
まとめ
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事が少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。


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